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1/2 3/4 1/1 この数字は日付じゃございません。 週を追うごとにかけてよい、手術した足への『荷重負荷』のこと。 ちなみに退院は3/4のとき。片松葉での出所となった。 だいたい4週間。当然ながら、看護婦さんとの火遊びはナシ(笑)。 そんなん求めてたら、何をしに病院に入ったのか、と。。 病院食に慣れてしまった自分が最も辛かったのが、 なんとびっくり、コンビニのおにぎり(軽く韻を踏んでるし)。 鮭のおにぎりなんぞ、塩がきつくって食べられたモノではなかった。 そう思っていたのも、退院後たったの1週間だったけど。 それを笑い話にできるくらい、日常生活は大変なものだった。 駅の階段、トイレ、坂道、軽い移動、全てが通常の3倍かかる。 それと意外な事実は、満員電車は座る方が危険だということ。 足を曲げられないので、同乗者に蹴られてしまうからだ。 かといって立っていられるのは30分が限界なので、 つまるところ自分は松葉杖が取れるまで、タクシーで通勤をした。 タイミングよく相方が勤務先近くに家を借りていたため、 自分の家を借りたままほっぽらかして、そっちに転がり込んだ。 そんなことを簡単に決断できてしまうくらい、通勤は難題だった。 『日本には、設備も人の心にも、バリアフリーが普及していないんだ。』 このときほどそう思ったことは、後にも先にもなかった。 退院後もリハビリは定期的に続いていった。およそ半年間。 現にいま受傷している方や術後の方に前向きな話を届けるなら、 半年間のリハビリの後に、自分は軽くだがサッカーに復帰した。 といっても遊びでゲームに参加した程度のものだが、 たったそれだけでも、自分にはこの上なく嬉しい出来事だった。 それと同時に、申し訳なさと詫びる気持ちがじわじわとこみ上げてきた。 自分よりももっと大変な病気や怪我、障害に悩まされている人に、だ。 重傷だし、元には戻らない足になってしまったのかもしれないけれど、 今こうして、普通の人となんら変わらぬ状況で、ボールを蹴れているじゃないか。 後悔がないといったら、ウソになる。 一瞬でも、どん底も知ることができた。 もし怪我さえなければ、もっと違った人生にきっとなっていただろう。 でも怪我で道の変わった人生が、果たして本当に『不遇』なものなのか。 不遇なはずがない。また自分の2本の足で、こうして立っているのだから。 リハビリはまだまだ続く。 でも、不思議と『やらにゃいかん』という使命感に駆られた。 この心境を経由して、ようやく復帰への思いを新たにできた、のかな。 今回はここまで。 もうちょっとだけ続きます。話が完治までいってないですし(笑)。 それでは。
石膏のギプスと引き換えに、自分の左膝には『ニーブレイス』が装着された。
まぁ、膝の屈曲範囲を抑制する、サポーターみたいなもんなのだけど、 まったく知らない人から見れば、まるで『足にヘッドフォン』のような状態。 しかも正常な太さのときに作ったものだから、装着当初はスッカスカだった。 そして、いよいよリハビリがスタートした。 とはいっても極端な運動はできないので、リハビリは病室のベッドにて。 膝の曲げ伸ばしをやってくれる機械を付けて、寝ながら自動屈伸運動。 たしかその機械にはれっきとしたネーミングがあったんだけど、 あまりにありがちな英字3文字だったため、見事に忘れてしまった。 時間にしておおよそ30分。もちろん運動した気分にはならない。 医者から言わせれば、これは術時に切った筋肉の『癒着』を防ぐためとのこと。 人によってはこの癒着により、ちょっと曲げるだけでも痛いんだそうだ。 幸い自分は、まったくと言ってよいほど痛みを感じなかった。 痛くなかった代わりに、二度と正座のできない足になってしまった。 まぁそれほど、日常生活に困ることはなかったのだけど、 ヨメの実家にご挨拶に伺ったときには、さすがにヤバイと思った。 まさか、あぐらをかいて『結婚させて下さい!』はナシだろう…、と。 最初1週間くらいは、その機械によるリハビリのみ。 それと検診がわりに、リハビリ師さんのマッサージ。 こっちのほうが、最初のうちはずっと痛かった。 ヒマなのを知っているかのように、 入院後の数日は多くの方がお見舞いに来てくれた。 そのおかげで車椅子の運転技術も、ほどほどに上手くなった。 上半身の筋トレは、きっとそっちで賄ったんだと思う(笑)。 毎日、高層階の病室から地上の喫煙スペースまで車椅子で移動。 時間にして歩いて5分、車椅子で15分程度の場所。 タバコを持つ手は、たいがい筋肉がプルプルしていた。 退院までは、まだまだ。 今回は、ここまで。 ※ちなみに、私がかかった病院はかなり慎重派だったようだ。 病院によりまちまちではあるが、大概はもう少し早く退院できるはず。 全治期間も病院によりバラバラ。そこに当然、個人差も加わってくる。 たとえば全治6ヶ月というケースもあれば、全治1年というケースも。 そこはおそらく、各病院のリスクマネジメントの違いかと思われる。 ちなみに個人差とは再建靭帯と自身の体内との『親和性』だったり、 筋肉のつき具合、リハビリの負荷具合だったり、いろいろと該当してくる。 私見としては、焦らない人は長期スパンで、本当の完治を目指してくれる病院。 1ヵ年内での完治・スポーツ復帰を希望する方は、スポーツ障害に強い病院。 そしてもちろん、靭帯再建術において複数の症例・成功例をもつ病院。 ちなみに自分は男性・ACL・サッカーによる受傷・靭帯消滅・他の靭帯損傷は軽度、 ということで症例を作りやすかったらしく、膝専門外来の副院長が執刀してくれた。 大学病院ということもあり、複数の研修医が手術に同行したそうだ。 その後、1年検診、2年検診ともに、半月板やその他の靭帯に多少の損傷・伸びはあるものの、 人間の生涯過程において、ありえなくはない経年変化、だとのこと。こんな感じ。
『○○さ~ん、起きてくださ~い』
16:00すぎ。 普段よりも相当に目覚めの悪い状況にも関わらず、 看護婦さんは自分の肩を、強く叩いて起こそうとする。 うっすら目を開けると、家族全員がベッドの周りにいた。 どうやら手術は、何事もなく終了したらしい。 膝をあけてみたら前十字靭帯断裂のほかに、 内側即副靭帯も伸びていて、半月板も下の方が剥離していたらしい。 ふと左足を見ると、大腿までの分厚いギプスに覆われていた。 …と、ここまでは翌日、ヨメに聞いた話。 実際は術後に目は覚ましたが、ほとんど記憶はない。 意識がはっきりしてきたのは、夕食手前の頃。 絶飲食だったため、出てきたのはすべて流動食だった。 お粥の嫌いな自分は仕方なく、箸やスプーンを一切使わずに、 とりあえず全部飲み干してやった。当然、おいしくなかった。 抜糸とギプスが取れるのは、だいたい3~4日後ということ。 リハビリはギプスが外れた日から、スタートだそうだ。 昼間に麻酔でぐっすり寝てしまったにも関わらず、夜も眠くなった。 しかし麻酔が切れたあと、夜中にひどい激痛が左足に走った。 血が通いだしたことによる『むくみ』と、ギプスがきつ過ぎたことにより、 足首が圧迫されてしまって痛いこと。こっちが辛かった。 夜中にナースコールを押し、足首付近に脱脂綿を入れてもらうも、痛み変わらず。 結局、翌朝に医師にギプスを少し切ってもらうことで、ようやく痛みは取れた。 そのときの圧迫の傷は、今も左のアキレス腱付近にくっきりと残っている。 ギプスが取れるまでは、食っちゃ寝の生活をずっと続けた。 眠くないときはゲームをやり、ほとんど動こうとしなかった。 どうせ焦っても早く治るものじゃないし…、と割り切っていた。 4日後、ようやくギプスが外れることになった。 チェーンソーみたいなもので半円状に切られたギプスを外すと…、 そのなかからは『ごぼう』のような、あまりに細い自分の足があった。 今回はここまでです。 さすがにこのときばかりは、ショックで泣きました。 それでは。
いよいよ、手術当日。
前夜はなんと急患で3人ほど自分の病室に入ってきた。 ひとりは日付変更線あたりで、左足の開放骨折の人。 お次はどっかから落ちたらしく、腰の骨を追った人。 トドメは夜中の交通事故で、股関節を骨折したひと…。 はい、聞く限り自分よりおぞましい怪我ばっかりです。 ちなみに、このことを知ったのは手術の翌日。 誰かが病室に搬送されたのは知っていた、という程度だった。 起床は、なんと朝の5:00。 そこからヘアーの剃毛に始まり、座薬→トイレ→T字帯装着の手順。 筋肉注射を打たれ、かるくまったりしていると、時刻はいいよ7:30に。 オペ開始は8:00。ベッドごと手術室へと連れて行かれる。 搬送のあまりのスピードに、この時点で若干気持ち悪くなるハメに。 手術室の前の控室に到着すると、今日のオペに担当してくれる方々全員と挨拶。 このころには注射が結構効き始めていて、意識もちょっと薄れ気味。 何人挨拶しただろうか? 同じ服装の人ばっかりなのが、なおさら混乱させた。 『さて、そろそろ行きましょうか。』 看護婦さんの一言で、ベッドからストレッチャーに移動する。 ストレッチャーの幅はベッドの半分以下くらい。 そして、ちょうど足の部分のところに切れ目ができていて、 あー、これを外して膝をだらんとさせて手術するんだ、というのがわかった。 指には脈拍を測る機器がついていて、『ピッ・・・ピッ・・・』と反応している。 なんとなく、このあと本当に足を切るんだと怖気づきだした。 それを察知したのか看護婦さん。 『じゃあ、酸素入れるんで口にマスクつけますね~』 これが後から思い出せば、麻酔だった。ちなみに、自分の手術は全身麻酔。 なので当然、手術中のことなど知る由もない。見たくもなかったけれど。 ストレッチャーの方向が変わり、いよいよ手術室に。 先のほうに見えるのは、ドラマでもお馴染みのライトがいっぱいついているヤツ。 それを視認した直後、コロリと意識を失った。 オペ開始。 ここまで。次回は手術が終わった直後から。
15:00
オカンが家まで迎えに来て一路、病院へ。 途中まで行ったところで、携帯電話の充電器を忘れたことに気付く。 緊張感がないったらありゃしない。そんなわけないのだが。 16:00 都内にある病院に到着。入院手続を済ませ、病室に案内される。 入った病室は6人部屋なのに、GW前もあってか患者は自分ひとり。 『今日は他の患者さんいないので、自由に使ってよいですよー』と、看護婦さん。 ジーンズで病棟を散策するのもヘンなので、ひとまずパジャマに着替えてみる。 17:00 明日の手術に向けた、申請書諸々の記入をすることに。 たとえばHIVのこととか、術後異常のこととか、万が一のこととか…。 いちばん気になったのは、HIVにもし引っ掛かったら? ということ。 心当たりが別段あるわけでもないけれど、やっぱり気になった。 手術後の経過が事細かに書かれてあった紙は、ベッドの脇に貼り付けた。 あ、夏過ぎには二足歩行できるんだー、なんて先々のことを想像してみる。 手術を決めなかったら、たったこれだけのポジティブさも、持てなかったかもしれない。 18:00 待ちに待った! …と言いたい夕食。もちろん病院食。 21:00以降は絶飲食のため、お米はちょっと多め。 味も薄いので、痩せるかな~なんてほのかな期待を抱く。 結果を先に言うと、現在は術前よりも15kgプラスなわけだが(笑)。 ゆっくり食べたつもりが、わずか10分で完食。当然、足りない。 20:00 明日からは2週間くらい入れない、最後のお風呂。 しばらくはタオルで拭くだけの毎日らしい。かゆくなるだろ、フツー。 とりあえず念入りに洗ってみる。それこそ新婚初夜の新婦ばりに(笑)。 洗うことに夢中になりすぎて、制限時間の20分をほとんど使うハメに。 湯船に浸かったのは、たぶん2~3分くらい。もったいない。 風呂上りに飲んだコーヒー牛乳(銭湯じゃないけど)が、術前最後の食事に。 21:00 消灯。できるわけがない。 ご丁寧なことに、テレビも全部『…ブツン』って消える。 せっかくドラマとか、お笑いとか見られると思ったのに。 ヨメにメールで、『明日、液晶付きのDVDプレイヤー、買ってきて』と頼む。 何もすることがないと、やっぱり手術のことを考えてしまう。 間違えて切断されちゃったりしないか? 神経を切られたりしないか? 手術したら、本当に元に戻るのか? 麻酔は本当に効くのか? …などなど。 考えても仕方ないので、明日は医師に委ねるしかないのだが、やっぱり不安になる。 『眠れないんで、精神安定剤か睡眠薬、飲んでいいですか?』 試してみたかったナースコールを押して看護婦さんを呼び、そう聞いてみる。 当然NG。明日の麻酔とかの効きが悪くなるとのこと。そりゃ飲めないや。 諦めて布団に潜り込んだら、いつの間にか寝ていた。 続きを言うと、前夜あれだけ緊張してたのに、不覚にも寝坊までした。 それでは。次回は手術の日の朝から。
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