by powderjunkies
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20話を公開したのが、なんと3年前。
ほったらかしも甚だしい限りです。申し訳ない。。。 なので、反省の意味を込めて続きを書きたいと思います(笑)。 というよりも、きっと近況報告になるのかな。 ACLを行ってから、早いもので8年になります。 さながらこの日付だと8回忌の送り盆みたいでアレですが、 半健筋で再建された左膝は、ひとまず元気にやっています。 とはいえ、制限されたものも多くあり、 現状に満足かといえば、嘘になるのが本音です。 まず、一線級までには復帰できなかった、ということ。 これはサッカーの話ですが、正直元の能力には戻りませんでした。 もちろん体力的にちょうど下降線を辿る年齢での受傷だったことや、 プロではないため、片手間でのリハビリでは限界があったこと、 どうしても競技レベルまで戻す、というのは自分にはできませんでした。 とりあえず普通にできる、というレベルまでは復帰できていますが。 それと、やっぱり走り方は変わったのかな。 どうしても左足をかばってしまうので、ちょっと引き摺るような走り方に。 マラソンなら普通だけど、全力疾走になるとクセが残りました。 もちろん、急なカットインやターンもできなくなった気がします。 というより、怖さがあるってのが根本の思いなんでしょうね。 痛みは今でも少し残っています。 靭帯の痛みというよりは、半月板の痛みですかね。 クッションがなくなった感覚はあります。 車でいうところの、サスが硬いって感じです。 コラーゲン、グルコサミン、コンドロイチンは試しましたが、 実際には効いてるのかどうなのか、というレベルです。 きっとこれには個人差があるんでしょう。 趣味に関しては、ほぼ問題なくやれています。 自分の場合はスノーボードが主な趣味なのですが、 普通に滑る点においては、全くもって問題なし。 ただ、元々キッカー(ジャンプ台)で飛んだりもしていたので、 そのあたりは、どうしても膝が怖くて流してしまいます。 この「怖さ」というのが、どうしても拭えない最大のケガですな。 とはいえ、まったく運動ができなかった時期から見れば、 それはもう、十分すぎる術後なんじゃないかなと思います。 子供の運動会のリレーも走れたし、趣味も変わらないし、 特に多くの方が患っている「再負傷」にも、今のところなっていない。 そういう意味では、きっと自分の症例は成功にあたるはず。 強いて挙げるなら、問題はやはり「メンタル」のところ。 こればっかりは、年齢が上がれば上がるほど、 怖さを取り払えないものなんだと諦めています。 あーもー、歳とったのかなやっぱり。 ここのケア、みなさんはどうしてるんでしょうかね? #
by powderjunkies
| 2012-08-16 15:29
| 前十字靭帯断裂
1/3
1/2 3/4 1/1 この数字は日付じゃございません。 週を追うごとにかけてよい、手術した足への『荷重負荷』のこと。 ちなみに退院は3/4のとき。片松葉での出所となった。 だいたい4週間。当然ながら、看護婦さんとの火遊びはナシ(笑)。 そんなん求めてたら、何をしに病院に入ったのか、と。。 病院食に慣れてしまった自分が最も辛かったのが、 なんとびっくり、コンビニのおにぎり(軽く韻を踏んでるし)。 鮭のおにぎりなんぞ、塩がきつくって食べられたモノではなかった。 そう思っていたのも、退院後たったの1週間だったけど。 それを笑い話にできるくらい、日常生活は大変なものだった。 駅の階段、トイレ、坂道、軽い移動、全てが通常の3倍かかる。 それと意外な事実は、満員電車は座る方が危険だということ。 足を曲げられないので、同乗者に蹴られてしまうからだ。 かといって立っていられるのは30分が限界なので、 つまるところ自分は松葉杖が取れるまで、タクシーで通勤をした。 タイミングよく相方が勤務先近くに家を借りていたため、 自分の家を借りたままほっぽらかして、そっちに転がり込んだ。 そんなことを簡単に決断できてしまうくらい、通勤は難題だった。 『日本には、設備も人の心にも、バリアフリーが普及していないんだ。』 このときほどそう思ったことは、後にも先にもなかった。 退院後もリハビリは定期的に続いていった。およそ半年間。 現にいま受傷している方や術後の方に前向きな話を届けるなら、 半年間のリハビリの後に、自分は軽くだがサッカーに復帰した。 といっても遊びでゲームに参加した程度のものだが、 たったそれだけでも、自分にはこの上なく嬉しい出来事だった。 それと同時に、申し訳なさと詫びる気持ちがじわじわとこみ上げてきた。 自分よりももっと大変な病気や怪我、障害に悩まされている人に、だ。 重傷だし、元には戻らない足になってしまったのかもしれないけれど、 今こうして、普通の人となんら変わらぬ状況で、ボールを蹴れているじゃないか。 後悔がないといったら、ウソになる。 一瞬でも、どん底も知ることができた。 もし怪我さえなければ、もっと違った人生にきっとなっていただろう。 でも怪我で道の変わった人生が、果たして本当に『不遇』なものなのか。 不遇なはずがない。また自分の2本の足で、こうして立っているのだから。 リハビリはまだまだ続く。 でも、不思議と『やらにゃいかん』という使命感に駆られた。 この心境を経由して、ようやく復帰への思いを新たにできた、のかな。 今回はここまで。 もうちょっとだけ続きます。話が完治までいってないですし(笑)。 それでは。 #
by powderjunkies
| 2009-08-19 01:38
| 前十字靭帯断裂
石膏のギプスと引き換えに、自分の左膝には『ニーブレイス』が装着された。
まぁ、膝の屈曲範囲を抑制する、サポーターみたいなもんなのだけど、 まったく知らない人から見れば、まるで『足にヘッドフォン』のような状態。 しかも正常な太さのときに作ったものだから、装着当初はスッカスカだった。 そして、いよいよリハビリがスタートした。 とはいっても極端な運動はできないので、リハビリは病室のベッドにて。 膝の曲げ伸ばしをやってくれる機械を付けて、寝ながら自動屈伸運動。 たしかその機械にはれっきとしたネーミングがあったんだけど、 あまりにありがちな英字3文字だったため、見事に忘れてしまった。 時間にしておおよそ30分。もちろん運動した気分にはならない。 医者から言わせれば、これは術時に切った筋肉の『癒着』を防ぐためとのこと。 人によってはこの癒着により、ちょっと曲げるだけでも痛いんだそうだ。 幸い自分は、まったくと言ってよいほど痛みを感じなかった。 痛くなかった代わりに、二度と正座のできない足になってしまった。 まぁそれほど、日常生活に困ることはなかったのだけど、 ヨメの実家にご挨拶に伺ったときには、さすがにヤバイと思った。 まさか、あぐらをかいて『結婚させて下さい!』はナシだろう…、と。 最初1週間くらいは、その機械によるリハビリのみ。 それと検診がわりに、リハビリ師さんのマッサージ。 こっちのほうが、最初のうちはずっと痛かった。 ヒマなのを知っているかのように、 入院後の数日は多くの方がお見舞いに来てくれた。 そのおかげで車椅子の運転技術も、ほどほどに上手くなった。 上半身の筋トレは、きっとそっちで賄ったんだと思う(笑)。 毎日、高層階の病室から地上の喫煙スペースまで車椅子で移動。 時間にして歩いて5分、車椅子で15分程度の場所。 タバコを持つ手は、たいがい筋肉がプルプルしていた。 退院までは、まだまだ。 今回は、ここまで。 ※ちなみに、私がかかった病院はかなり慎重派だったようだ。 病院によりまちまちではあるが、大概はもう少し早く退院できるはず。 全治期間も病院によりバラバラ。そこに当然、個人差も加わってくる。 たとえば全治6ヶ月というケースもあれば、全治1年というケースも。 そこはおそらく、各病院のリスクマネジメントの違いかと思われる。 ちなみに個人差とは再建靭帯と自身の体内との『親和性』だったり、 筋肉のつき具合、リハビリの負荷具合だったり、いろいろと該当してくる。 私見としては、焦らない人は長期スパンで、本当の完治を目指してくれる病院。 1ヵ年内での完治・スポーツ復帰を希望する方は、スポーツ障害に強い病院。 そしてもちろん、靭帯再建術において複数の症例・成功例をもつ病院。 ちなみに自分は男性・ACL・サッカーによる受傷・靭帯消滅・他の靭帯損傷は軽度、 ということで症例を作りやすかったらしく、膝専門外来の副院長が執刀してくれた。 大学病院ということもあり、複数の研修医が手術に同行したそうだ。 その後、1年検診、2年検診ともに、半月板やその他の靭帯に多少の損傷・伸びはあるものの、 人間の生涯過程において、ありえなくはない経年変化、だとのこと。こんな感じ。 #
by powderjunkies
| 2009-03-05 15:26
| 前十字靭帯断裂
『○○さ~ん、起きてくださ~い』
16:00すぎ。 普段よりも相当に目覚めの悪い状況にも関わらず、 看護婦さんは自分の肩を、強く叩いて起こそうとする。 うっすら目を開けると、家族全員がベッドの周りにいた。 どうやら手術は、何事もなく終了したらしい。 膝をあけてみたら前十字靭帯断裂のほかに、 内側即副靭帯も伸びていて、半月板も下の方が剥離していたらしい。 ふと左足を見ると、大腿までの分厚いギプスに覆われていた。 …と、ここまでは翌日、ヨメに聞いた話。 実際は術後に目は覚ましたが、ほとんど記憶はない。 意識がはっきりしてきたのは、夕食手前の頃。 絶飲食だったため、出てきたのはすべて流動食だった。 お粥の嫌いな自分は仕方なく、箸やスプーンを一切使わずに、 とりあえず全部飲み干してやった。当然、おいしくなかった。 抜糸とギプスが取れるのは、だいたい3~4日後ということ。 リハビリはギプスが外れた日から、スタートだそうだ。 昼間に麻酔でぐっすり寝てしまったにも関わらず、夜も眠くなった。 しかし麻酔が切れたあと、夜中にひどい激痛が左足に走った。 血が通いだしたことによる『むくみ』と、ギプスがきつ過ぎたことにより、 足首が圧迫されてしまって痛いこと。こっちが辛かった。 夜中にナースコールを押し、足首付近に脱脂綿を入れてもらうも、痛み変わらず。 結局、翌朝に医師にギプスを少し切ってもらうことで、ようやく痛みは取れた。 そのときの圧迫の傷は、今も左のアキレス腱付近にくっきりと残っている。 ギプスが取れるまでは、食っちゃ寝の生活をずっと続けた。 眠くないときはゲームをやり、ほとんど動こうとしなかった。 どうせ焦っても早く治るものじゃないし…、と割り切っていた。 4日後、ようやくギプスが外れることになった。 チェーンソーみたいなもので半円状に切られたギプスを外すと…、 そのなかからは『ごぼう』のような、あまりに細い自分の足があった。 今回はここまでです。 さすがにこのときばかりは、ショックで泣きました。 それでは。 #
by powderjunkies
| 2009-02-27 16:12
| 前十字靭帯断裂
いよいよ、手術当日。
前夜はなんと急患で3人ほど自分の病室に入ってきた。 ひとりは日付変更線あたりで、左足の開放骨折の人。 お次はどっかから落ちたらしく、腰の骨を追った人。 トドメは夜中の交通事故で、股関節を骨折したひと…。 はい、聞く限り自分よりおぞましい怪我ばっかりです。 ちなみに、このことを知ったのは手術の翌日。 誰かが病室に搬送されたのは知っていた、という程度だった。 起床は、なんと朝の5:00。 そこからヘアーの剃毛に始まり、座薬→トイレ→T字帯装着の手順。 筋肉注射を打たれ、かるくまったりしていると、時刻はいいよ7:30に。 オペ開始は8:00。ベッドごと手術室へと連れて行かれる。 搬送のあまりのスピードに、この時点で若干気持ち悪くなるハメに。 手術室の前の控室に到着すると、今日のオペに担当してくれる方々全員と挨拶。 このころには注射が結構効き始めていて、意識もちょっと薄れ気味。 何人挨拶しただろうか? 同じ服装の人ばっかりなのが、なおさら混乱させた。 『さて、そろそろ行きましょうか。』 看護婦さんの一言で、ベッドからストレッチャーに移動する。 ストレッチャーの幅はベッドの半分以下くらい。 そして、ちょうど足の部分のところに切れ目ができていて、 あー、これを外して膝をだらんとさせて手術するんだ、というのがわかった。 指には脈拍を測る機器がついていて、『ピッ・・・ピッ・・・』と反応している。 なんとなく、このあと本当に足を切るんだと怖気づきだした。 それを察知したのか看護婦さん。 『じゃあ、酸素入れるんで口にマスクつけますね~』 これが後から思い出せば、麻酔だった。ちなみに、自分の手術は全身麻酔。 なので当然、手術中のことなど知る由もない。見たくもなかったけれど。 ストレッチャーの方向が変わり、いよいよ手術室に。 先のほうに見えるのは、ドラマでもお馴染みのライトがいっぱいついているヤツ。 それを視認した直後、コロリと意識を失った。 オペ開始。 ここまで。次回は手術が終わった直後から。 #
by powderjunkies
| 2009-02-25 17:44
| 前十字靭帯断裂
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