by powderjunkies
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15:00
オカンが家まで迎えに来て一路、病院へ。 途中まで行ったところで、携帯電話の充電器を忘れたことに気付く。 緊張感がないったらありゃしない。そんなわけないのだが。 16:00 都内にある病院に到着。入院手続を済ませ、病室に案内される。 入った病室は6人部屋なのに、GW前もあってか患者は自分ひとり。 『今日は他の患者さんいないので、自由に使ってよいですよー』と、看護婦さん。 ジーンズで病棟を散策するのもヘンなので、ひとまずパジャマに着替えてみる。 17:00 明日の手術に向けた、申請書諸々の記入をすることに。 たとえばHIVのこととか、術後異常のこととか、万が一のこととか…。 いちばん気になったのは、HIVにもし引っ掛かったら? ということ。 心当たりが別段あるわけでもないけれど、やっぱり気になった。 手術後の経過が事細かに書かれてあった紙は、ベッドの脇に貼り付けた。 あ、夏過ぎには二足歩行できるんだー、なんて先々のことを想像してみる。 手術を決めなかったら、たったこれだけのポジティブさも、持てなかったかもしれない。 18:00 待ちに待った! …と言いたい夕食。もちろん病院食。 21:00以降は絶飲食のため、お米はちょっと多め。 味も薄いので、痩せるかな~なんてほのかな期待を抱く。 結果を先に言うと、現在は術前よりも15kgプラスなわけだが(笑)。 ゆっくり食べたつもりが、わずか10分で完食。当然、足りない。 20:00 明日からは2週間くらい入れない、最後のお風呂。 しばらくはタオルで拭くだけの毎日らしい。かゆくなるだろ、フツー。 とりあえず念入りに洗ってみる。それこそ新婚初夜の新婦ばりに(笑)。 洗うことに夢中になりすぎて、制限時間の20分をほとんど使うハメに。 湯船に浸かったのは、たぶん2~3分くらい。もったいない。 風呂上りに飲んだコーヒー牛乳(銭湯じゃないけど)が、術前最後の食事に。 21:00 消灯。できるわけがない。 ご丁寧なことに、テレビも全部『…ブツン』って消える。 せっかくドラマとか、お笑いとか見られると思ったのに。 ヨメにメールで、『明日、液晶付きのDVDプレイヤー、買ってきて』と頼む。 何もすることがないと、やっぱり手術のことを考えてしまう。 間違えて切断されちゃったりしないか? 神経を切られたりしないか? 手術したら、本当に元に戻るのか? 麻酔は本当に効くのか? …などなど。 考えても仕方ないので、明日は医師に委ねるしかないのだが、やっぱり不安になる。 『眠れないんで、精神安定剤か睡眠薬、飲んでいいですか?』 試してみたかったナースコールを押して看護婦さんを呼び、そう聞いてみる。 当然NG。明日の麻酔とかの効きが悪くなるとのこと。そりゃ飲めないや。 諦めて布団に潜り込んだら、いつの間にか寝ていた。 続きを言うと、前夜あれだけ緊張してたのに、不覚にも寝坊までした。 それでは。次回は手術の日の朝から。 #
by powderjunkies
| 2009-02-24 11:33
| 前十字靭帯断裂
膝はその後、さしたる悲鳴をあげることもなく、春を迎えた。
いよいよ手術が近づいてくる、そんな緊張と高揚も徐々に感じるようになった。 なにぶん手術はおろか、入院そのものが初めてのことで、全く勝手がわからず。 まるで長期の旅行にでも行くか、もしくは手荷物程度の引越しをするかのように、 入院するための荷物は、無駄なものが圧倒的に多いものになってしまった。 たとえば、ゲームボーイアドバンスを持っていくのに、DSまで用意している、とか(笑)。 それほど病院生活は、ヒマなもんだろうと思っていたワケだ。 まぁ、それを覆されるのは言うまでもなく、その話は後日イヤでもでてくるのだが。 入院1週間前に、もういちど病院にて検診。 今回は膝のことよりも、多かったのは『費用』の話。 入院費総額が40万円くらいだとか、矯正用の装具が10万円くらいだとか…。 たかだか遊びのフットサルで随分高い費用を払ったもんだ、と半泣きになった。 まぁ高額医療控除で、8割近くは戻ってくるわけなのだが。 ちょうどその頃、勤めていた会社で大がかりな人事異動があった。 自分はとある営業さんと縁あって、新宿に異動することに。 そして、タイミングのいいことに自分も渋谷区初台に引越しを予定していた。 GWの後に新拠点勤務とのことだが、その時期はまだ入院中。 ちなみに、開かずのままになっていた自分の梱包物は、 フロアの端っこのほうで、コーヒーメーカーの台になっていたそうな。 新生活に新拠点、新左足と新しいものづくし。 そんな冗談を言っていられるのも、術前だけだった。 入院したのは、手術前日。 あれだけ余るほど荷物を持ってきたのに、 T字帯や髭剃りなど、忘れ物は満載だった。。。 次は、手術前夜から。 #
by powderjunkies
| 2009-02-20 18:24
| 前十字靭帯断裂
術日が決定したことで、なぜか安心した気分になった。
何も施していない左膝も、なんだか調子よく感じられた。 とはいっても、走ることも急に反転することも、当然ままならない。 ただし、気分的に不安を少し払拭できたのは、とても大きかった。 …そんなテンションもあり、その後無謀にもスノーボードの旅へ(笑)。 もちろん、膝にはかなり圧迫度の強いサポーターを巻き、 ガラにもなく30分近くもストレッチに時間を費やし、 3本に1回は休憩などという、『まったり』な雪山ライフ。 滑走中は痛みも出なかったし、膝崩れも起きなかった。 これなら保存療法でもいけるのかな、と思ったほどだ。 しかし滑り終えて宿に戻り、温泉に入ってみると、 つい半年前に受傷したような、バレーボール球クラスの膝が…。 きっちりアイシングもマッサージもして、この結果である。 しかも片方の膝をかばえば、逆足の膝に負担がかかるのも当然のこと。 結局4泊5日で滑り倒すハイリスクな旅路は、初日でリタイアとなった。 帰宅後にまた病院にお世話になったことは、言うまでもあるまい(笑)。 つまるところ、この旅が『手術をするぞ』という、大きな決断をさせてくれた。 競技スポーツはおろか、趣味すらも満足に楽しむことができない。 そんな人生を今後過ごすのならば、現代医療にかけてみよう、と。 痛みとは別の意味で、自分のケガのレベルを知ることができた、ということ。 手術当日までに、少なくとも10回はゲレンデに足を運んだと思う。 そして、そこには雪山に行くという自分の状況をわきまえない欲求から、 次第に20数年も公私を共にした、怪我をした膝への『哀悼』へと変わっていった。 ちなみにそんな思いになったのは、 足を使うサッカーにずっと関わっていたからかもしれない。 今回はここまで。 次は手術直前あたりから。 #
by powderjunkies
| 2009-02-19 16:26
| 前十字靭帯断裂
2005年3月2日
『手術したいんだけど…』 僕は父に、おもむろに切り出した。 プロスポーツ選手でもない自分が、膝の大手術に踏み切る。 それに大きな後ろめたさを感じていたことを、今でも深く覚えている。 カネが理由なのもそうだけど、社会人として1ヶ月も入院すること。 しかも、仕事自体にはなんら支障のない、膝の手術だということも。 しかし同時に、自分から運動という趣味を取り除く現実というのは、 なんとも受け入れ難いものという思いが強かったため、僕は決断した。 『俺は手術で、モルモットにされた』 父もケガにより、サッカー人生を棒に振った人物だった。 父は中学卒業後に実業団クラブに所属し、サッカーに励んでいた。 当時、サッカー自体にプロなどはなく、日本リーグが国内最上位。 しかしながら日本リーグに所属するクラブ・選手も企業傘下ばかり。 父も同様に昼間は製造工場で仕事をし、終業後にボールを蹴っていた。 しかし父が在籍していたのは、たったの4年。 上背がありヘディングでならしていた父の最期は、 自分より小さな選手とボールを競り合い、背後からこづかれて背中から地面に落下。 それが原因で、外傷による椎間板ヘルニアを患ってしまったのである。 当時19歳。これからという時代に、である。 30余年も前の当時、医療はそこまで発達していなかった。 今でも多くの方がヘルニアに悩まされているのだから、 その時代に治せなかったのも、致し方ないことなのかもしれない。 試験的に行った手術で背中に『鉄板』を背負うことになった父は、 手術後に一度もフィールドに戻ることなく、サッカーをやめてしまった。 『俺は手術で、モルモットにされた』 僕がサッカーの話をするたびに、最後にはこの言葉を添える父だったが、 手術がしたいと切り出したとき、父はこの言葉にこう付け加えた。 『いや、俺の手術自体は当時の医療の限界で、成功の部類に入るのかもしれない。 でも、どんなに完璧な手術でもメンタルやトラウマまでは解消してくれなかった。 俺がサッカーに復帰できなかったのは、手術の成功云々の問題ではなく、 本当はケガの再発怖くて、復帰に踏み切れなかっただけ、だったのかもしれないな』 手術すれば治る。 同義で考えていた僕は、ハンマーで殴られた気分になった。 それでも手術に踏み切ったのは、前に進みたかったから。 全治1年の重みは、医者でもなく父から教えてもらった気がした。 術日は、4月30日に決定した。 #
by powderjunkies
| 2009-01-20 16:14
| 前十字靭帯断裂
2005年1月11日。
人間の膝には、大まかに4本の靭帯がある。 しかしMRIの結果では、自分の膝には靭帯が3本しか写っていなかった。 存在しなかったのは、こともあろうに『前十字靭帯』だった。 靭帯は完全断裂したまま放置すると、消滅するようだ。 自分の場合は、受傷から早くも3ヶ月強が経過していたので、 医者から言わせれば、写らなくて当然なのである。 最初にお世話になった整形外科も、ただのヤブではなかった。 それは、『前十字靭帯断裂なら、最悪の結果です』ということは、 きちんと自分に伝えていたからだ。うん、間違っていないじゃないか。 結果が見えたことで、ノドのつかえは解消できた。 ケガの重みはどうあれ、状況がやっとわかったからだ。 『まともな運動は、生涯できない』 医者から次に言われた言葉は、そんな類のもの。 本当の『動揺』がどういうものか、初めて理解した瞬間だった。 でわ。久々に書きました。気づくかなぁ…。 by 41+low #
by powderjunkies
| 2007-05-30 12:49
| 前十字靭帯断裂
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